愛をもって生きる
メッセージ03
人生を変えるひと言
私はよく人から「もてなし上手」「ホスピタリティーが高い」とお褒めいただきます。長年、旅を仕事にしてきた経験を考えれば当然だと思われる方もいるとは思いますが、私はただ「人を大切にする」と決めているだけなのです。何故、私が「人を大切にするのか?」それには理由があります。
先述のように私は思春期の頃、徐々に人が嫌いになりました。
高校時代は気の合う友人が殆どいなかったこともあるのかも知れません。そんな私が変わった“きっかけ”は当時やってたテレビドラマの主人公の台詞でした。
「人間って、もっといいもんですよ!」
正に私の中に一筋の稲妻が走ったかのような衝撃を受けたのを今でも覚えています。
そして私は「もっと人間を好きになりたい!」「もっと人間の素晴らしさを知りたい」と思ったのでした。
人としての成長
たった一言から「もっと人間を好きになりたい」「もっと人間の素晴らしさを知りたい」と思った私は、そのドラマの主人公の仕事であったツアーコンダクターという仕事に興味を持ったのでした。お恥ずかしいくらい単純な性格ですが、自分ではこれは天からの声だったと今では思っています。
実際、天職だったのでしょう。だからこそ、会社に入って出会った人たち(学校の先生や生徒の他に宿泊施設やバス会社、レストランなどの事業パートナーの皆様、会社の仲間たち)と仕事を重ねるたびに人間という生き物がどんどん好きになってきました。
また、旅というのは形がない商品です。では、何を売るのかと言ったら、自分の人間性を売るしかないのです。前述のように、たくさんの人との出会いから色々なことを学ばせていただき、
少しずつ人として成長することができたと感謝しています。
自分を愛する
もちろん、長い年月の中では失敗して怒られて凹んだり、理不尽なクレームを受けたり、ウマの合わない同僚と仕事をするなど良き経験ばかりではありませんでした。また、営業職は稼ぐのが役割です。たくさん稼げば上からの評価は上がり、少しづつ昇級したり、出世したりできるわけです。人は自分を誰かから認められたい欲求がありますが、私も例外ではなく、いつしか本来の仕事の目的を忘れて「儲けること」や「上に行くこと(出世)」ばかりを考えていたのでした。
そんな折に難病を宣告されたわけです。命が助かったから言えることですが、きっと神様が「進む道を間違えている。」と私に気づかせるためにギフトを与えてくれたんですね。
難病から学んだことは「人生という旅を愉しむ」で詳しく書きますが、病を通じて「愛」を痛切に学んだのでした。
人を愛すること。その前に大切なのは自分を愛することです。
「お客様のために」という仕事だからと自分の本当の心の声を
隠して、人のために尽くしてきました。
しかし、それは実は私が人から認められたかったから。私が人から愛されたかったから、私は「人に喜ばれる」ことをやってきたのだと気がついたのでした。「人のため」と書いて「偽」と読みますが、まさに偽物だったわけです。
また、病を通じて私は「当たり前」はないのだと気がつきました。
朝に目が覚めることも。妻が朝ごはんを作ってくれたり、洗濯や掃除をしてくれることも。会社に行くのに電車が動いていることも。会社では営業担当者である私たちに代わって経理や手配の人たちが頑張ってくれていることも。何一つ当たり前のことなんかなかったのだと初めて気がつきました。そして、すべてのことが感謝に変わったのでした。どれだけたくさんの人たちに自分は支えられているのかということに初めて気がつきました。
そして、私は「愛と感謝で生きる」と決めたのです。
哀を経験したから
2013年から「自分の体験から学んだことが誰かのお役に立つのなら」ということで志を同じくする仲間と共に講演をさせて頂くことを始めました。最初の頃は先述の「病から学ばせてもらったこと」を話していましたが、話の流れから実母の蒸発と再会をはじめ病以外のことも話しているうちに「人生における様々な体験、特には辛く苦しかったあの体験があったからこそ、今の自分があるのだと。」自然に思えるようになってきました。
ある時、ある小説の一節に電流が走りました。
「愛を知るためには、哀を知る必要があった。」
前述のテレビや映画などと同じように、本はその時々に自分に必要なメッセージを与えてくれることが多いですが、この時ほどタイムリーなメッセージはありませんでした。
もし、人が生まれてくるときに「人生の目的」を決めてくるのだとしたら、私は「愛を学び、愛の素晴らしさを伝えるために生まれてきた。」とこのとき確認しました。
だからこそ、私は人生において哀しい体験をする必要があったのです。
人生は体験を重ねることで彩り豊かになる
人が人生を生きていく中では色々な体験をします。
それは楽しいことや嬉しいことばかりではなく、辛いことや苦しいこと、哀しいこともあります。
辛く苦しい想いをしたとき、人はふた通りに分かれます。
「何故、自分がこんな思いをしなければならないのか?」と天を羨む人。そして
「この経験をしたことで自分は大切なことに気づくことができた。」と天に感謝する人。
「天は口なし」と言います。
これは、「天は口がきけないゆえ、起こる出来事や出会う人を通じて、その人が何かに気がつくようにいつもヒントを与えてくれている。」という考えなのです。
私たちはみな、例外なく天に見守られています。
だとしたら、人生で起きることには必ず意味があります。
それがどんな意味なのかを気がつくのには時間がかかる場合もありますが、それに気がつくことができたとき、あの辛かった想いは感謝に変わり、そしていつしか「愛」に昇華すると思います。
だから、辛く哀しい経験をした人ほど愛に溢れており、笑顔が素敵な人が多いと思っています。
事実、私の周りにはそういう愛に溢れた人が多いからです。
その笑顔が素敵になるほど、人生の彩りが豊かになっていくものです。