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喜びから生きる

メッセージ01

恐れや不安から生きる

2019年2月のある日、一冊の本「喜びから人生を生きる!/アニータ・ムアジャーニー」を夢中になって読みました。

それは末期の癌が原因で臨死体験を経験した女性が書いた本でしたが、本に書かれた彼女の言葉の数々にハッとしました。

中でも「私は恐れや不安をいつも抱えて生きていた。だから病気になった。」という一節に私自身もそうだと気がついたのでした。

生まれた時代や生まれ育った環境の違いはあれど、多かれ少なかれ人は親の影響を受けて育ちます。それは良いとか悪いとかいう話ではなく、「どういう親の間に生まれ、自分はどう影響を受けて育ったのか?」ということをある時期に見つめてみることをお勧めします。

私の場合は…芸の道で生きてきたがゆえに浮世離れしながらも厳格であり続けようとする父親と、女ながらに負けん気が強く面倒見のよい母親。更には、自分のことは棚に上げて人には完璧を求めるため、人の好き嫌いが激しい継母。

私が10歳の頃に母親が蒸発してしまったので、正直あまり母親のことを覚えてはいません。母のことが好きでしたが、よく叱られたという記憶の方が強くあります。特に勉強は厳しかったような。

父親は私が小さな頃はとにかく怖くて、たまに家にいると母をよく怒鳴り飛ばしていたような記憶があります。母がいなくなってから少し丸くなりましたが、短気でよく怒るという点は変わりませんでした。そんな父も年をとるたびに継母の言いなりになるような弱さを見せるようになりました。

父自身がどうかではなく、継母が言うがままに私のことを怒ることが増えました。これが一番辛かったかな。

継母は前述の通り、人には厳しい人でした。

​常に「正しさ」ばかりを求められ、否定ばかりされて育ったように思います。それでも継母自身がその見本となるような人ならば、私の感じ方も違ったのでしょうが、自分自身は人に求めるようなことはできない。そして、いつも誰かの悪口を言っているような人で一緒に暮らすのが年々苦痛になってきました。

自分のことが嫌いだった

「褒めて育てる」という言葉がありますが、大切ですね。

父親と継母から否定ばかりされて育った私はどんどん自信を失っていきました。そして、どんどん自分のことが嫌いになっていきました。自分のことが好きではなくなると、人のことも好きにはなれなくなるものです。気づけば私は人が嫌いになっていました。親はもちろん、大人も同級生もみんな嫌いでした。

孤独な時間を過ごすことが多かったですが、誰かと一緒にいるよりは気が楽でした。

親の期待に応えること

正しく生きること

人から好かれるように振舞うこと

真面目に生きること

頑張って生きること

​そんなものすべてに疲れてしまった十代を過ごしてきました。

​人から認められたい想い

いま自分で振り返っても、随分と暗い青春時代を過ごしていたものですが(笑)、大学生活の中では久しぶりに親友と言える友人をはじめサークルのようなアルバイト先でたくさんの仲間ができ、また先述のように今や天職と思っている「旅行業」という心から自分がやりたいと思うことも見つかって、家の外では少しづつ充実した生活を過ごせるようになりました。

志望する会社に入社してからは更に頑張り、成果も現れました。

​旅とは形がないものゆえ、営業する私の「人となり」がお客様に評価される。お客様は「旅行」ではなく、「私」を買ってくださるのです。若さゆえ経験は少ないものの、ひたむきに頑張る姿勢をお客様は認めてくださいました。十代の頃に人の目を気にして暮らしてきたことが逆に生きたのかも知れません。

「おもてなし」はお客様が何を望んでいるのかを慮ることが根っ子にありますから、暗い青春時代も無駄ではなかったということです(苦笑)

しかし、自分の仕事に対する思いも働く年月を重ねるにつれて少しづつ変わっていきました。

「お客様のお役に立ちたい。」という想いは変わらないものの、自分がもっと認められたいという欲が強く出てきたのでした。

会社の中で年次が上になるに従い、いわゆる「出世」というものを意識し始めまたのでした。

「上司の評価を上げるために」そして、「早く課長に昇進したい」「いつか必ず支店長になりたい!」なんてね。

本当にアホでしたね(苦笑)

ちょうど、都心から1時間ほど離れた埼玉のお店に在籍し、すごく頑張っているのに成果が全く出ずに苦しんでいた頃、未だ経験がないほどの体調不良を感じ、突然に入院することになりました。そして難病の宣告。当時は38歳。働き盛りの頃でした。

​死の恐怖に怯え、突然真っ暗闇に突き落とされたようでした。

​どう生きるのか?

「大変」とは「大きく変わる」と書きます。

つまり、人は大変なことを乗り越えられた時、大きく変わることができるのだと言います。

正に私もこの大変な時を家族やたくさんの出会いのお陰で乗り越えることができ、人として大きく成長することができました。「病気をする前と後では別人」と人から言われるほど、人生観も価値観も変わってしまいました。

命を救ってくださった師と仰ぐ鍼灸師の先生との出会いから「先生のような生き方をしたい」と思い、人としての「あり方」を磨く努力をしました。

​しかし、木の年輪のように少しづつ人として成長する傍ら、今一つ満たされない自分がいました。それが何なのかは分からない。いや、今思えば、自分が満たされていないことにさえ気が付いていなかったのかも知れません。

「喜び」から生きる

「天職創造トレーニング」で学ぶ中、自分の純粋意欲(理由は分からないが、自分が好きなもの/こと)について日々意識する習慣ができました。自分が本当に好きなもの/こと、やりたいことを自覚するようになって初めて「自分がいかに今まで相手に合わせて(優先させて)生きてきたのか?」に気がつきました。

「相手の気持ちを思いやり、心地良いようにすること」は「おもてなしのプロ」としてのある意味、職業病でもあり、また、相手に好かれたいという自分の恐れが原因でもあります。

先づは、いきなり100%自分の「好き」を優先させられなくても、「本当はどうしたかったの?」と自分に問いかけ、認めてあげることを先づは心がけました。次は勇気を出して「自分はこうしたい。」「自分はこれがいい。」と言ってみる。すると相手は あっさり「いいよ」と言ってくれたりしました。全ては自分の思い込みだったのです。

「いつも笑顔で生きる」でも少し触れますが、誰かのために何かをしてあげることは素敵なことですが、それよりも何よりも先づは自分自身が笑顔で上機嫌でいることこそが相手のためになることなのだと気がついたのでした。

世界で一番大切なのは自分です。

いつも自分に喜びを与え、幸せに生きることこそが「世界を救うこと」や「誰かの役に立つこと」よりも大切なのだと今は気がつきました。

「喜べば,喜びごとが 喜んで、喜び連れて、喜びにくる」

この詩のように悦び(歓び)から生きていると歓びたくなることがどんどん舞い込んでくるものです。

「人生は選択の連続」ですが、選択するチャンスは一度きりとは限りません。もし、「違った」と気づいたら、何度でも選び直すことができます。

常に「自分の喜び」から選択する。

たったそれだけで毎日が幸せな時間になります。

さあ、勇気を出して!

​あなたも「喜び」から人生を生きましょう!

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